こんにちは。
レディース#15宮田夏実です。

今日は私のデフフットサル・デフサッカー(以下デフフットボール)の活動、そして私の想いを記していこうと思います。
簡単にまとめて書くつもりだったのですが、長くなってしまいました。。。

まず「デフ=deaf」とは耳の聞こえない人のことを指します。
耳の聞こえない人たちがプレーをすることをデフフットサル、デフサッカーと言います。

もともと、私はサッカーをしており、中学1年生になる春にデフサッカーに出会いました。そこからデフサッカーW杯やデフリンピック(聴覚障害者のオリンピック)などたくさんの国際大会を経験させていただき、その縁で大学2年生の時にデフフットサルの山本監督に声をかけていただきデフフットサルも始めました。

デフサッカーに出会う前の私は、身近に聴覚障害を持った大人(ロールモデル)がいなかったので、自分がどんな大人になりたいのかというイメージが湧かず、とても不安でした。

そんな時にデフサッカーに出会い、聞こえなくても前向きに頑張る先輩方を見てとても衝撃を受けた同時に私も先輩方みたいに生き生きしたかっこいい大人になりたいと思いました。また中学3年生の時の初めての国際大会であるデフサッカーW杯の閉会式で、サッカーだけで私と同じように耳の聞こえない人達がこんなにもたくさんいるんだと!自分一人だけでなく、世界中に仲間がいるんだと感じたことを今でも鮮明に覚えています。

このデフサッカーとの出会いがあったからこそ、上手くいかないときでもサッカーを辞めることなく頑張ることが出来ました。

私が初めて日本代表候補合宿に参加した2010年の時は、練習着はなく、色をそろえるだけでメーカーもバラバラでした。交通費や参加費は全て自己負担、トレーナーもいないという今では考えられない状態でした。

現在は、A代表と同じ、統一ウエア・ユニフォームになりました。これはデフサッカーを始めた頃は全く考えられなかったことで、夢のまた夢の先だと思っていました。A代表と同じウエアを着れると分かった時は本当に興奮して寝れませんでした。

昔と比べてメディアでも取り上げていただけるようになり、スポンサーになっていただける企業も増えました。金銭面ではまだまだとはいえ、確実にデフフットボールを取り巻く環境はここ10年で良くなってきています。

私は、そんな恵まれた環境の中で競技に専念することが出来ています。これも初代からの先輩方やスタッフの方々がデフフットボールを何もないゼロからの状態から引っ張ってくださったおかげで今の私たちがあるし、こうやって若いうちから国際大会など良い経験をさせていただくことができています。

ただ、日本国内におけるデフリンピックの知名度は16.3%と低く、合宿や国際大会の遠征費など自己負担が凄まじいです。
この話をすると、「デフフットボールを続ける意味、価値あるの?」って言われたことがあります。でも、私はデフフットボールに救われ、夢と希望をもらたしてくれました。価値は他人が作るものでもありますが、自分達で価値を作っていくものでもあると思っています。

だからこそ、下の世代にバトンを繋いでいくためにも、知名度を上げて今ある環境をより良くしていくことが私の1つの役目だと思います。そして、デフフットボールをさらに一人一人が誇れる場所に、夢のある場所にしていきたいです。

 

そして、所属チームのリガーレのみなさんの理解があってこそデフの活動ができていると思います。大会や合宿でお休みをいただくのにも関わらず、快く送り出していただき、帰ってきたら温かく迎え入れてくださる皆さんに感謝しかありません。普段の練習からもたくさんのことを教えてくださっています。私もデフで学んだことをチームの目標達成に貢献できるよう行動していきたいです。

改めて、リガーレに入ってよかったと思っています!

6月10日は東京都リーグの試合を控えています!
ぜひ応援のほどよろしくお願いいたします。
長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。